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夏の中東現場出張記

 

松川 圭輔 (国際開発工学専攻 連携教授)

中東のある国のプラントに、補償工事という元気の出ない3週間の出張にやってきた。冷却海水が落差10mで大量に滝のように流れ落ちる水槽のコンクリートにひび割れが入ってしまった。このような保証期間に生じた瑕疵は無償で補修しなければならない。気温は日中35℃、現場に出ると滝のように汗が出る。

サブコントラクターで、いやいやながら補償工事にやってきたオランダの建設会社の人員構成はおもしろい。Project ManagerのAはでかい。見上げるような身長2mのバイキングの末裔。握手とは実は初対面腕相撲みたいなもので、負けないように握り返す。土木担当のHはオランダ人にしては苦労人だ。いい歳なのに、インドネシア、カタールどこでも行く。今晩はホテルのバーで一緒に飲もう、といつも言う。現場を仕切るRは声がでかいフィリピーノで「スミトモ、ミツビシ」などとどなって挨拶する。日本の会社がやったプロジェクトでもその豪胆な仕事ぶりは一目おかれていたのだろう。彼はこんな補償工事はさっさと終わらせてフィリピンに帰って休みたい一心だ。検査担当のインド人のSは、仕事が細かいが、ITが不得意のおじさん。Rとは仲が悪い。でも、なんだかんだいいながら、工事は順調に進んでいる。

というのも、顧客の担当者がインド人に替わったからである。中東の国々は実はインド・パキスタン人が多い社会で技師などの実務職は彼らが支えている。お客さんもインド人、当社の担当もインド人となれば仕事はやりやすい。
当社の担当、Kはインドケララ州の出身、当社はケララの人を好む。ケララ州はインドでも識字率第1位の教育州であり、またラストネームがKumarという彼は、きわめて優秀かつ日本人に好かれる不言実行タイプで、今度も現場出張所長からドライバーまで一人5役くらいはこなしている。もう10年以上も当社の現場で働いてきた彼も今年末に契約更改を迎える。「松川さん。次のプロジェクトには僕はもういないかも。」疲れが見えるほぼ同世代の彼はどうなるのか。

工事の半ばに当社のPMより、顧客側のインド人をインタビューしてくれないかとの依頼あり。夜7時にホテルのロビーに面会にいってみると、いつも現場で会う顧客の検査担当のBがさっぱりしたシャツを着てやってきた。聞けば今の仕事は月××リヤルしかもらっていないとのこと。当社の現場の方が給料はいい。毎日のお客さんも立場が変われば複雑なものだ。「今まで何人の部下を監督した?プレッシャーのかかる現場で働く意欲はある?」という採用には必須の質問に、速射砲のように回答してくる。Yes! Yes! OK! OK! を連発しながら首を何度も横に振る。ああ、このカルチャーギャップは何というか、漫才を見ているようだ。Yesなら首は縦に振れ。彼もケララ州の出身だ。

仕事がうまく進むのは雇った香港人現場監督のおかげでもある。S は同世代で建築物の補修に詳しい。ビジネスマンが多い香港人にしては珍しく、細かい技術話にしつこく乗ってくる技術屋で、まるで日本人のようですぐ親しくなった。彼のように軽口がうまい事は、いろいろぎすぎすすることもある現場での仕事に必須の潤滑剤である。Sには毎日中学生の一人息子からメールが来るのはうらやましい。

ここで電気大手W社のドイツ人の話をしないわけにはいかない。計装関係の部品を修理しにやってきたのだが、技術屋ではないK から見てもあきらかにトンチンカンなことをやって、うまくいかないと怒鳴りまくるという手に負えない大男だった。結局、部品がドイツから届くまで、何もすることはなく、海に出て釣りをしていたらしい。彼は「ソビエト時代の方が幸福だった」という旧東側出身者であった。この青い目のおじさんはやることなすことはずれていて、見ていて笑いをこらえるのに必死だったが、この灼熱の現場で我々に笑いを提供してくれたのはありがたかった。

この夏はこんな風に過ぎた。
別れるときには必ず友人と握手をする。空港まで送りに来てくれたK、香港に帰るSと、「ありがとう。縁あればまた会おう。」軽口をいいながら、この夏はきついなりに面白くもあったな、と思う。