ONLINE BOOK REPORTING_WEEK8 Chapter3: Delivering Services, Part 2

Reading report week 8: Masaya Mizukami(B4)

Chapter3 part2

Summary

・Digital technologies too often fail to empower citizens

デジタル技術が政府・市民にとって有効になり得るには、いくつかの因子が必要である。まず政府にやる気がある事は前提であるが、ずばり「デジタル技術によってエンパワーされた市民が、指導力のある政府を支援する」という構造が肝心になってくる。ここで、市民の能力を高めるには、3つの仕方があるということを確認する。それは、「自由・公正な選挙」「知識に基づく投票」「市民の発言強化」である。そしてこれらの仕方がデジタル技術によってどれだけ改善・良化されるかは、状況ごとに異なると言える。

まず、「自由・公正な選挙」はデジタル技術によって実現しやすいものだと言える。インターネット利用と選挙の誠実性に関してプラスの相関関係がある事が報告されているのだが、特に貧困層の選挙への参加増加について、デジタル技術が大きな影響を持っている事が確認された。具体的には、電子投票機による投票間違いの防止だったり、電子記録による投票総数の監視だったりが、選挙の公平性に一役買っていた。

一方「知識に基づく投票」へのインパクトの大小・良し悪しは、状況によって異なることがわかる。インターネットやテレビといったメディアによって、有権者のための情報に透明性が生まれたことが、まず挙げられる。ただ、これが著しく良い影響を持つ範囲は、「理解が容易で、特定の政治家についての、信頼できる情報」に限られている。特定の政治家や団体の腐敗が暴かれることによって、有権者がそれに加担しないように行動する、といったケースである。それとは対照的に、特定の政治家に言及する事が困難であるような、複雑だったり、目立ちにくかったりする情報については、デジタル技術の効果はそれほど期待できない。インターネット上の投票における憂慮は、(インターネットの性質上)極端で扇動的な意見が蔓延しやすい、ということである。これにより、政治における分極化を招く恐れも孕んでいる。

「市民の発言強化」に関しては、デジタル技術の恩恵は無条件に期待できるようなものではない。デジタル技術が、抗議運動やデモ、民族紛争等の集団行動を促進してきたことは、昨今の情勢でも確認できる。市民の集団行動自体、必要になってくる場面は数多くあるのだが、集団行動を正しく行える環境や状況がまず重要である。おそらく、「市民と政府の協調」は必要条件であると言える。そして、強力な市民社会組織(CSO)が政府に圧力をかけるために創始され、有意義なオフラインの行動が加えられる事が求められる。例えば、組織化された抗議運動だったり、サービス提供の問題を通報するためのプラットフォームの建設だったりする。この時、それらの成功の鍵は、CSOと政府がパートナーシップを結ぶことである。

・The gap between technology and institutions

 インターネットは、説明責任における政府と市民の関係を強化し、政府の能力を補完できる。そのインパクトに各国間で差が現れているのは、政治制度や官僚制度の違いが原因である。もし政治制度が愛顧主義的であると、政治家はエリート層というグループに対してしか説明責任を持つことにならない。また、官僚制度が寵愛ベースであると、デジタル技術の導入によるキャリア的な見返りを感じづらくなってしまう。加えて、世界銀行によると、そのような制度が健全な国ほど電子政府プロジェクトは成功しやすいという。

 一言「制度」と言っても、国によって事情は様々になってしまうのだろうが、結局デジタル技術が制度にどれだけ依存するかは、次の3つの要因にまとめられる。「サービスを監視してフィードバックを提供することに市民がどれだけ意思を持っているか」「サービスや活動のプロセスが、標準化できるものか」「業務の結果が、特定の公的な主体にどれだけ帰せられるか」となる。つまり、標準化され観測及び帰属可能な業務は、監視する意思のある市民に(デジタル技術上で)監視され、業務は改善されていく、ということである。ただ、デジタル技術を通じた改善は漸進的であることには注意しなくてはならない。

 「監視する意思」と「監視可能かどうか」が重要であるのは先述の通りであるが、納税申告や水道・電気等の公益事業サービスといった業務は、どちらの要素も含まれているから、業務の自動化によって改善することが期待できる。一方、警備や経営といったものはどちらの要素も弱くなりがちであり、デジタル技術の成果は期待できない。しかし、デジタル技術を全体ではなく一部に適応できる見込みはある。よって、例えば財の電子調達について言えば、入札の評価の裁量性を完全に除去できることはないが、監査の証跡とパフォーマンス指標を確立する事はできる。

・The future of public services

 今まで述べた観点から言うと、当該国の制度が見直されるまでデジタル技術の導入を保留にしなければならないように思うが、必ずしもそうではない。デジタル技術の導入で、制度そのものを強化する事ができる。例えば、ケニアのマジボイスでは、デジタル技術の導入によって、寵愛を基盤とする水の公益事業が実績指向型の事業に転換された。各国内の制度の状況は異なっているため、文脈に固有の改革可能な間隙があるという。

My thoughts

 インターネット上での市民発言については、考えるべき問題が山積しているように思える。特にSNS上では、煽動的な発言が常に伝播力を持っており、全体を見通した整合的な意見はそこまで注目されないし、そのようなものはそもそもSNS以外のプラットフォームで粛々と交わされているだろう。誰もが声を上げられるという点で、インターネットは優れている。ただ、これをSNSだけを踏まえた議論で終わらせてしまうのはもったいないだろう。SNSは、輪郭や境界のない荒地のようなプラットフォームであり、故に自分がどこに帰属しているかを曖昧にさせる要素がある。だから、共同体のための政策や制度があるのなら、共同体のためのプラットフォームがあった方が、建設的な意見交換が活発になるように思えるのだ。SNSに比べて、テレビは比較的地域に根差したメディアであると言えるが、情報は常に一方通行であり、スポンサーに依拠した経営をしているので、理想と異なることもしばしばある。

 「市民と政府の協調」とあったが、何を持って「協調」と言うのかは注意しなければならないだろう。例えば、市民と政府のそれぞれに協調の意思があったとしても、それを実現させるための制度がなければ協調は実現しない。また、お互いの気持ちが正反対に向いていたとしても、結果的に「協調」になることはあり得る。政府が市民の意見をどれだけ汲み取るか、ということが「協調」にとってかなり重要になると思われるが、意見を汲み取ることが政府にとって益になるような構造を作ることが、やはり優先になるのだろう。市民に「監視する意思がある」かどうかも、簡単にわかるものではない。監視する意思がどのような段階で生まれるかに着目すると、様々な見方ができる。情報公開がされたから、監視する意思が生まれたのか。それとも、監視する意思があるから、情報公開がされたのか、などである。市民が支払う税金によってなされる事業に対しては、情報公開の前から市民は監視する意思を持っているだろう。反対に、癒着や不正等の問題は、何らかの形で情報が公開された後に監視する意思を持つものであるから、最初から監視する意思がないとは断定できないはずだ。