阿部研新潟県大白川集落訪問報告3

こんにちは.
平井です.
遅くなりましたが大白川訪問ニーズ発掘チームの報告です.

私たちニーズ発掘チームは,住民の皆様の「思い出話」に着目して,集落を元気付けたい,集落が存続するように頑張りたいという気持ちの背景にある思いを聞き出すことに着目しました.

こちらが事前に準備をした質問項目です.

スクリーンショット 2015-08-01 17.36.26

Q1大白川の出身ですか?
Q2子供の頃のことはよく覚えていらっしゃいますか?
Q3学生,仕事,最近は…?
Q4そのなかで一番印象に残っていることはなんですか?
Q5なんでそう思いますか?

上の質問フローチャートと質問項目を意識しながら,対話形式でのインタビューをおこないました.

以下インタビューの結果です.

大白川のビッグイベント
1. 浅井長政の子孫が人の入り込めない山奥に逃げ込んで集落を作った。そのため非常に人が住みにくい土地。
山に囲まれ、大雪が降る。
2. 昔は林業で栄える。川の流れを利用して木材を運ぶ。
3. 銅鉱山の開拓。県外の労働者が大勢移り住み賑わう。
4. 昭和50年頃スキーブームとともにスキー場がオープン。多くの観光客で賑わう。
観光客をもてなすために多くの民宿がオープン
5. バブル崩壊の数年前から徐々にスキー客が減る。
6. 破流川ダムの建設で多くの労働者が訪れる。

昔はとにかくよく働いた
昔を振り返って思い出されることは、とにかくよく働いたとのこと。春から秋にかけては山菜を20日間風呂に入らず着替えもせずに働き、畑、稲作と休むことはなかった。できた米は供米のためあまり手元に残らなかった。
冬は積雪が非常に厳しく,かんじきを履いて踏み固めて道を作った.くわなどの金属器具を直したり,藁でかんじき,蓑,すげ笠などを編んだりして過ごした.冬のたびに村を出たいなと思うがいつも春が来て暖かくなると忘れてまた一年をすごしてしまう.
当時はバスも汽車もなかったため,遠出をするのに二日がかりで小出まで歩いた.

いまの生活は不安もなく幸せ
それと比較すると今は非常に便利で幸せだという.冬の積雪も除雪車がきて綺麗にしてくれるし,近所の人とあつまってお茶をのんで,楽しく過ごしているし,バスも電車もあって町まで出られるようになったし,生活の不安は何もないとおっしゃっていた.

子供時代から残る豊かな自然
一方で70年前くらいまでは大白川に小学校もあり,児童は100人以上いた.当時は本村,上村,末沢,桂沢の4地区対抗での運動会などをして盛り上がった.また,ダムが建設される前は川の水の水位がもっと高く,夏には川で泳いだり手作りの槍で魚をついたりして遊んだ,寒くなったら岩場にあがり日光で温まった岩にへばりついて体を温めてまた川に潜った.遊びには型はなく自分たちで新しい遊びをつくって遊んでいた.みんな仲が良く年上は下の子供に遊びを教え,またその下の世代へと伝わっていった.いじめなどもあったがいじめたらいじめかえしてやりあっていた.
このエピソードを語ってくださったカツさん(仮名)には三人のお孫さんがおり,頻繁に大白川を訪れるそうだ.まだ小さいお孫さん達は大白川の大自然にはしゃぎ回り危ないこともするので,カツさんは心配でヒヤヒヤすると嬉しそうに話してくれた.」

ひとが減っていってしまうのが寂しい
集落の存続に対する不安感はそれほど大きくなく,去る人がいれば新しくやってくる人もいるので,そういう流れがあれば心配する必要がない.ただし,知っている顔が外にてしまったり,近所の家が空き家になり潰されたりするのはやはりさみしい.
また,十数年前までは,雪上ソフトボールや雪国会館屋上でのバーベキューなど集落の人で集まって賑やかにやることがあったが最近は住民が歳をとってそのようなことがなくなってしまったのが少しさみしいそうだ.

集落ですごしておもったことは,集落の人々は集落が縮小していくことに対して具体的な問題を抱えているわけではなく,むしろ,昔に比べて,世の中は便利になっていて,近所のひとで支え合いながら幸せそうに過ごしているなということであった.

ただ最近はみなさんが高齢になられて,集まって楽しみをすることも少なくなり,寂しさを感じる時もあると.

そこで私たちがみなさんにできることは,昔から続く穏やかな生活に刺激的ななにかおもしろいことを起こすことなのではないかと思う.

そのなかで大白川の自然や山菜,コメなどの魅力がよ多くの人に伝得られるような仕組みでなにかいいアイデアを提供できたらなと,そう思いました.

これからアイデア出しを行って,何度か大白川を訪問するなかで,実現させたいです.
写真は後日まとめてあげます.

平井雄之