セブワークショップ②

11月のADB訪問に引き続き、1月23日から27日にかけてフィリピンのパンガンアン島(Pangan-an island)で行われたワークショップへ、Anna先生に同行いたしました。

パンガンアン島は、フィリピン南部のセブ島から南東20kmほどに位置し、約400世帯が生活をしている島です。今回のワークショップでは、阿部研究室OBのWilliamさんにご協力をいただきました。

セブ島というと、個人的には「リゾート地」というイメージだったのですが、車の量が多く、道の幅も広く、中心部には巨大なモールや高さのある建物がいくつもあり、もうそれは「都市」といった印象でした。宿泊したホテルもまた高さのある建物で、サービスも非常に行き届いており、あまり経験がないので分からないですが、日本のハイランクなホテルと比べても遜色のない感じだったのではないかと思います。

一方で、街では洗練された都市とは言い難い一面もちらほら見られました。道路では車線が機能していないことが度々あり、近所のセブンイレブンに行くにしても、大きな銃を肩にかけた警備員が歩道でにらみを利かせていたり。こうした事をおかしいと日本人が一方的に断じることに対しては慎重にならないといけないとは思いますが、実際に日本では中々見ることができない光景ではありました。

セブ市内からパンガンアン島へは、車で隣のマクタン島にまず行き、そこからモーター付きボートで5㎞ほど渡ると着くことができます。マクタン島にしてもパンガンアン島にしても、利用した港は浅い部分がしばらく続く沖で、とても大きな船が着港できるようには見えませんでした。また、このように浅瀬が続くため、ボートの運行には潮の満ち引きが大きなインパクトを持ち、実際に乗った船もフィンを回すことができずに船頭の方が手で押すという事態になることが何度かありました。

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このような現状がパンガンアン島民に与える影響は多いらしく、ワークショップ参加者の意見を聞いていく中でも時折気づくことがありました。

島民がボートに乗船する際には彼らにとってかなり厳しい額の運賃を支払わなければならず、そのため島外に出る機会はそれほどないそうです。ワークショップ最終日には、外部から週に数回物資を運んでくるというボートが着港したのですが、この運搬ボートもそれほど大きいものではなく、島外から持ち込まれた物はさほど多くないように見えました。

フィリピンに行く前には国際開発専攻の留学生から、セブ人は英語が割と堪能でコミュニケーションについてはそれほど障害が無いだろう、ということを聞いてました。確かに、ファシリテーターはみなさん英語が堪能でコミュニケーションの問題が生じた場面はなかったのですが、パンガンアンの島民の方々はそれほど話せるという感じではなく、「Good morning」とあいさつしたときも、恥ずかしそうに笑いながら「Good morning」と返してくれたことがあったり、他にも、Williamさんの提案で行った日本語クイズで、英語で正解発表しても伝わらず、Bisaya(セブ語)で発表するとリアクションが起きたということもありました。

ファシリテーターに、なぜすぐ近くの2つの島でこのような差が生まれると思うか尋ねたところ、彼らは音楽などの文化や身の回りのモノに英語があふれており、ある程度必要性に駆られて習得した部分があるが、島民にはそういったものがあまり入って来ず触れる機会が少ないため、その必要性がないのだろうと話していました。

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パンガンアン島には上下共に水道がありません。水は雨どいの先にある貯水タンクから得たものを沸騰させて利用していますが、多くの家の屋根はトタン製ですでに錆びており、水の色も褐色がかっているそうです。それによって子どもが病気になることもあるが、島内に病院は無く、薬を得るにも高額なため、自然治癒に頼ることがしばしばあるとのことでした。

ワークショップで、身の回りの水やエネルギーといったものの利用についてポスターに描いてもらうセッションがあったのですが、男女ともに全グループが自分の生活におけるエネルギー源として太陽光発電システムを描いていました。清潔な水も満足には得づらいという当たり前の現実と、再生可能エネルギーが当たり前にあるという意識のギャップは、少し新鮮に感じました。

2014-01-25 15.19.40

ワークショップ最終日、参加者の男性数名に先の巨大台風Haiyanやその他の災害についてインタビューする機会がありました。

Haiyanが来たときには、彼ら曰く、島中の家の屋根が破壊されたそうです。ただ、それは割と珍しいことではなく、屋根も自分で修復するんだと言っていました。また、こうした災害に備えて、穀物や缶詰、レインコート、ラジオ、懐中電灯を家に置いており、それはどこの家庭も共通してやっているとのことでした。

今回の台風が接近している様子は、ラジオで知っていたそうで、「家族はみな無事だった」「家族は父である私が守るんだ」と言う姿からは、頼もしい印象を受けました。

三年計画の一年目に行われた今回のワークショップですが、今後どうなっていくのか非常に興味深いです。

大屋森太郎(B4)