Reading Report – 環境政策を考える #6

Title: Reading Report #6

Author: Ryoya Suehara

Book Title: 環境政策を考える

Book Author: 華山 謙

Chapter III-2:土地の私有権と環境の保護—海外プロジェクトと環境の保護

Summary:

日本企業の海外進出に伴い、公害輸出を心配する議論がある。例えば、CTS(crude-oil transshipment station)は日本国内での立地が難しくなり、南太平洋のパラオ島に巨大な石油基地をつくるという計画が発表されたとき、アメリカ国内の自然保護団体から強い反発が起こった。CTSがパラオ島の珊瑚礁を多かれ少なかれ破壊することは否定すべくもない事実である。しかし、その地域住民が開発を歓迎し、また日本国民にとって、それらの事業がぜひとも必要であれば、環境破壊を最小範囲にとどめる努力を払い、事業を進めなければならない場合があることもまた、否定できない。本章では、一般に海外CTSは本当に必要なのか、またいかなる条件のもとでそれが必要となるのかを明らかにすることである。これは、前節(III-1)で考えた”公共の利益”の概念を、国際的に視野を広げたうえで、再考することとも言える。

1. 石油の輸送コストとCTS

工場の規模が大きくなるにつれてその製品のコストが低下していく場合がある。経済学者はこれを”規模の経済”と呼ぶが、石油タンカーの大きさと輸送コストの間にはこれが存在し、そのため石油タンカーは年々巨大化の途をたどってきた。また、世界各国の中でも、日本はタンカーの大型化を最も早い時期から熱心にすすめた国である。それは、石油自給率が低く、輸入先が中東を中心としていて、輸送距離が長く、しかも途中がほぼ大洋であり、かつ、国内にも喫水の深い港湾が多かったからである。

日本におけるタンカー大型化を制限するものは、マラッカ海峡であった。マラッカ海峡は水深が浅いために、30万トンを超えるタンカーが通過することができず、ロンボク海峡へと迂回しなければならない。このため、3日程度の余計な日数を要することになった。この3日を埋め合わせために、タンカーを大型化して、コストを削減しなければならないのだが、今度はそれを受け入れることのできる港湾が日本には少ないことが問題となった。そこで、超大型タンカーを受け入れて、その積荷を一旦おろし、小型または中型のタンカーに積み替えるための施設、つまり、CTSが必要となったわけである。当時の日本は、鹿児島の喜入と沖縄の平安座島のふたつのCTSを持っており、それで賄えていた。CTSの増設は将来どの程度超大型タンカーが就航するかという点にかかる。そしてそれは、将来のおける日本の石油需要、タンカー運賃、およびマラッカ海峡の規制問題に関係している。

OECDによれば、日本の石油需要は1985年には、1975年実績の2倍になるという。これをすべて超大型タンカーでまかなうとすると、十年のうちに50隻の超大型タンカーを造船する計算になるが、日本の能力では毎年平均1から2隻程度となるだろう。超大型タンカーがそれほど急速に増えないという理由の一つには、船会社が抱えている過剰なタンカー船腹とそれに伴う運賃の低迷状態にある。さらに、スエズ運河の航行の本格化に伴い、中東とヨーロッパ間の石油輸送はスエズ運河を通れる中型タンカーによって行われるので、その分大型タンカーは市場でだぶつくことになるため、採算割れが予想される。そのような状況で超大型タンカーが作られる可能性低い。加えて、マラッカ海峡の航行規制問題もある。この問題は60年代から沿岸諸国、特にインドネシアとマレーシアでくすぶり続けてきたが、1975年1月の祥和丸事故によって一挙に政治的問題となった。この事故を受けて、最も深刻な脅威を受けたのは、規制に反対していたシンガポールであった。シンガポールには、世界最大規模の製油所があり、造船工業の発展を国策としてすすめており、国の存亡にかかわる問題であった。シンガポールは、1977年にマニラで開かれたASEAN外相会議に際して、マレーシア、インドネシアと航行規制の原則的合意に達している。その内容とは、大型タンカーの航路を他の船舶から分離すること(航路分離)と、船の底と海底面との間隔(Under keel Clearance)を3.5メートル以上の保つこと(UKC規制)の2点を骨子としている。UKC規制が行われれば、23万トン以上の船は、満船状態でのマラッカ海峡の通過ができなくなると言われている。これに該当する船舶は30隻程度だと思われるが、これらも満潮を利用したり、積荷を減らしたりして、マラッカ海峡と通過する可能性もあり、直ちに超大型タンカーの建造を刺激するとは言えない。したがって、ここでは1985年までに1または2隻の超大型タンカーがつくられるものとして、それを受け入れるCTSの規模を考えてみよう。計20隻の超大型タンカーの滞港日数は年間330日であるから、2隻の超大型タンカーを一度に着桟できる喜入のCTSで十分まかなえることになる。さらに、平和座島もあるのだから、1985年の超大型タンカーの受入能力は十分ということになる。

2. 海外CTSの論拠

前節において、1985年を目標年次として、必要となる超大型タンカー用の桟橋は多くないこと、CTSも一つで十分であることを論じた。では、海外CTSが必要なのか、また、どのような条件のとき必要になるのかを考えよう。一般に海外にCTSをつくるべきだとする理由として、次の三点が挙げられている。それは、(1)石油輸送コストの低減、(2)石油備蓄政策の強化、(3)石油産出国との共同投資による共存関係の強化である。以下これらを検討する。

(1)石油輸送コストの低減:現在までに何らかの提案がなされたのは、クラ、ロンボク、パラオでありこれに、沖縄を加えた4地点の比較を行った。結果的に、海外CTSが、少なくとも輸送コストの低減という視点から見る限り、存在理由を持たないことを示している。

(2)石油備蓄政策の強化:日本は、石油ショック後の石油消費国の多くがそうであるように、緊急時に備えて石油の備蓄を強化する政策をとっており、1975年には、そのための「石油備蓄法」を成立させている。CTSは規模に応じて持つべき貯蔵容量があり、その点で、石油備蓄の拡大に役立つといえる。しかし、石油備蓄政策の目的がなんであったかを考えると、海外CTSの備蓄に期待することには、やや奇異の観が伴う。もともと石油備蓄政策の石油産出国の禁輸政策に対抗するために、アメリカの呼びかけによってつくられたものであり、したがって例えば、ロンボクのCTSのように、OPECの一員であるインドネシアに作られるCTSに、備蓄機能を期待するのは矛盾している。また、備蓄機能をあまりに強調することは、石油産出国との共同出資によってCTSを作ろうという第三の論拠と抵触することにもなる。

(3)石油産出国との共同投資による共存関係の強化:これは、石油産出国がいわゆるオイル・ダラーの投資対象として、石油産業の下流部門への進出の意欲を持っている点に着目し、日本が産油国と共同出資してCTSをつくり、一旦成立した事業の経営を成り立たせるために、産油国が、それらのCTS経由の輸出については、例えば禁輸政策の例外措置を認めるなどの、特別の便宜をはかってくれるだろうと期待しているものである。しかし、第一に、産油国の投資を引き出すためには、CTSが十分もうかる事業でなければならないのに、その点で前述の問題点がある。また、産油国の禁輸政策への対抗策としてのCTSも、日本と石油産出国さらに立地当事国の利害を調整して、合意に達するのは、容易なことではないように思われる。

このように見てくると、海外CTSの建設の論拠とされている3点には、いずれにも大きな疑問符をつけざるを得ない。それにも関わらず、海外CTSについて日本の財界が強い関心を示しているのは、将来マラッカ海峡が閉鎖されるかもしれないという恐怖感であろう。この問題について、環境問題の側面から、再考しよう。

3. マラッカ海峡と環境問題

国債海洋法はかなり複雑な分野であり、この内容に立ち入るのはここでは不可能であるが、マラッカ海峡の環境問題を考えるにあたり、以下二つの事実を確認すれば十分である。第一に、マラッカ海峡内の大部分の水面は、沿岸三国の領海である。第二に、それにもかかわらず、多数の船舶が、両国の港に立ち寄ることもせず海峡を通過している事実は、これらの船舶の航行がいわゆる”無害通過航行”として、歴史的に領海内の自由航行を認められて来た事実を示す。とすれば、大型タンカーに対してなんらかの規制を加えるためには、大型タンカーの航行が”無害通過航行”でない、すなわち沿岸国の安全を脅かすものであるという立論がなされなければならない。この主張に格好の材料を与えることになったのが、1975年の祥和丸の事故だった。

1975年1月6日早朝、日本国籍の大型タンカー祥和丸(太平洋海運所属、247万トン)はインドネシア領海内のバッファロー岩礁付近に坐礁し、約1,000トンの原油を流出させた。この原油の一部は、インドネシア、マレーシア、シンガポールの海岸を汚染し、三国は太平洋海運に対しそれぞれ、2,470万ドル、950万ドル、370万ドルの巨額の賠償を請求した。さらに、太平洋海運は三国に対して、油の清掃実費弁償としてそれぞれ、120万ドル、50万ドル、152万ドルを支払った。

確かに、大型タンカーが事故を起こし、その積荷が海中に流出したとすれば、その結果沿岸国の安全に関わるといってよいほど重大な環境問題をもたらす。しかも、マラッカ海峡では、祥和丸事故以後にも、多くのタンカー事故が起きているのである。したがって、巨大タンカーが”無害通過航行”だという主張は、少なくともマラッカ海峡に関する限り、無条件には受け入れられなくなりつつあった。

このマラッカ海峡における事故を詳しく見てゆくと、坐礁に比べ衝突事故が多く起きているという特徴がある。マラッカ海峡は、大型タンカーにとって岩礁や浅瀬の多い難所であることは確かだが、それ以上に海上交通の輻輳していることが事故の原因になっているのである。が岩礁や浅瀬については、航路標識の整備もそれなりに進んでいて、それが事故防止に相当程度役に立っているのだが、海上交通の輻輳については、なんの手だても打たれていない。従って、マラッカ海峡の石油事故防止のために必要なことは、海上交通の整備である。日本政府が行わなければならないことは、マラッカ海峡の大型タンカーの航行規制を恐れて新しい航路を探すことではなく、沿岸三国の航路分離の政策を支持し、これの実現に協力する事であろう。

結論的には、海外CTS建設の根拠は、かなり薄弱なものであるといわざるをえない。

4. 今後の展望

CTSの候補地となる地点は皮肉なことに、自然環境の特別に美しいところばかりである。前述のとおり、CTS候補地間の輸送コストの差はわずかだけであって、少しでも建設費用を切り詰めなければ、他の地点に有利性を奪われる。それだけに、環境保護の費用が真っ先に切り捨てられる心配がある。実は、パラオの場合、近代的な意味での土地所有権は未熟の段階にある。中心集落においては、日本、アメリカの占領時代に土地の私有化が進められたが、漁村部においては、伝統的な母系制の社会であり、家族単位に所有されているのは住居の場合においてはヤシの木までであって、土地とそれに続く海面とは、集落の共有財産であるとされている。従って、意思決定は、部落会議が行い、最終的には世襲の酋長の判断に委ねられる。日本やアメリカの様な経済大国にとって、未開の土地の一部の部族の意思など自由に操作できるように思われる。しかし、民主主義とは、少数意見の尊重だと言われることがある。とくにその少数者が相対的な弱者であり、もし土地や海を失った時に、補償金を得たにせよ、新たな生活を始めるにあたり困難が予想されるとき、その少数者が自分で判断し、自分たちの意思をまとめるのを待つことは、大国にとっては義務と呼ぶべきものではないだろうか。

そもそも、海外にCTSをつくることが、日本国民の利益になるのかどうかという検討さえ十分に行われていないのである。試算のとおり、1985年に一日880万バーレルもの石油を必要とするのか、そのときの国民所得は我々にとってどのような意味を持つのか、考えなえればならない問題点は多い。

My own thought:

本節では、海外プロジェクトと環境問題の題でCTS建設の議論の中にエネルギー問題、環境問題、土地私有権の問題を見た。エネルギー問題に関しては、10年で石油を2倍消費する社会となるのか、その社会は我々にどのような意味をもたらすのかという疑問が投げかけられている。華山氏の著書には、880万バーレル/日との試算が出ているが、1985年時には、第二次オイルショックにも関連し、石油消費量は減少した。そこから再び緩やかに増加したが、現在我々が消費する石油量は1975年時と大きく変わらず、450万バーレル/日程度である。しかし、エネルギー消費量でみれば、現在我々は、1975年比でおよそ2倍のエネルギーを消費している。この数字そのものが何を意味するのかは私には分からないが、少なくとも、現在エネルギーに関連する問題が山積みなのは明らかであり、日本はエネルギー政策の転換期にある。また、環境問題、土地私有権の問題に関しては、ここでも前章と同様に、開発の結果として自然が失われる場合の一例を見ることができた。前章に引き続いて、国という枠組みを超えて、異なる土地所有形態間での意思決定の難しさをみることができる。他国間での取り決めに対しては、日本の自身の公害の歴史を顧み、国家としての公正な態度が求められていると言えるだろう。次章では、「環境政策と民主主義」について考える。