バンドン滞在記①

こんにちは。修士1年の山田です。現在、バンドン工科大学に半年間留学しています。

インドネシアの水道について色々学ばさせてもらっています。

インドネシアにきて一カ月がたち、いろいろ慣れてきたのですが、逆に新鮮味がなくなる前に少し感じたことを書きたいと思います。

まず、先進国では見えなくしてしまうものがインドネシアでは見られるということ。日本などの先進国では「臭い物に蓋をする」という諺があるように、見苦しいもの、都合がよくないものなどを見えなくする文化になったと思います。簡単な例で行くとトイレ。普段どれほど便利なトイレを使っていたか痛感します。私たちと、ごみや汚物などにはかなりの距離が日本ではあると思います。しかし、インドネシアではトイレが詰まったり、トイレに常設されている小さな水溜からバケツで水をすくい、自分で流すことも多くあります。

また、先日、牛や羊を解体して町の人に配ったりする「犠牲祭」のような伝統行事がありました。公衆の面前で大々的に生きてる羊や牛が解体されます。僕は見過ごしてしまいましたが、小さな子でも誰でも見ることができます。ご飯を食べる際いろいろな命をいただいていることを、頭では分かったいるつもりではいるのですが、東京に住んでいると、パックに詰められた肉しか見ることはなくその過程を見ることはほぼありません。解体されて細かく仕訳けている際の写真をあげておきます。

羊と牛

また、もう一つ感じたことは、日本が戦争の際に残した爪痕は、今でもインドネシアの人の心の中に残っているということです。ある朝、朝食を食べていると、おじいさんが

「どこから来たの?」と、

日本からだと伝えると、おじいさんは自慢げそうに

「日本語喋れる」といい、

昔の軍歌を歌い始めました。

理由を尋ねてみると、どうやら日本の植民地時代に日本軍に教え込まれということでした。なんだか申し訳ない気持ちにまみれた朝でした。

また、ある家庭にお邪魔した時、日本から来たことを伝えると、そこのおばあちゃんの態度が突然変わりました。また、彼女は僕に対し、

「「バケロ」とは日本語でどういう意味?」と聞いてきました。

そんな言葉はないと伝えると、彼女は大きな声で怒って言われ続けたと言いました。

その瞬間、僕の頭の中に「バケロ」ではなく、「馬鹿野郎」なんじゃないかと浮かんできました。

時代を超えて、日本兵の声が聞こえたような気がしました。意味は分からなくても、この何十年間もずっと心に残っていたまるで化石のような言葉が生き返った瞬間でした。

またも申し訳ない気持ちが胸いっぱいにあふれた瞬間でした。歴史に関してはどの国も主張があるのでどこの国が悪いとは言いきれませんが、どのようにすればこのような人々の心を少しでも癒せるのか、自分にどのような埋め合わせができるのかということを深く考えさせられた一例となりました。

まるで日本との関係が悪いかの用にとられてしまっては困るので付け足しておくと、多くの人は日本が大好きなんだなと感じました。アニメや、漫画が有名なのはもちろんのこと、日本の車やバイクもあちらこちらに走っているため、日本に多くの人が興味を持っています。浜松市とバンドン市が毎年開いているお祭りにお邪魔させていただきました。浜松インドネシア友好協会の方々によくしていただき、とてもいい時間を遅らさせていただきました。

浜松インドネシア友好協会:http://indonesiakyoukai.hamazo.tv/

浜松市とバンドン市の集合写真
さくらを舞台で歌う
日本の大学生にも会う
コスプレ大会もありました

大学の文系レポート書くときは鬼のように時間がかかるのに、今回の件はすらすらと書くことができました。それほど衝撃だったのだと思います。

インドネシアでは新しいことをまたたくさん経験することができています。留学と言えば

「アメリカ!」

や、

「ヨーロッパ!」

が思いつきますが(個人差があります)、開発途上国と言われている国に留学するのもとても楽しいです。

それではまた!

山田