皆さんこんにちは!D2の石尾です.
最近よく「再生可能エネルギーを地域で」とか「再生可能エネルギーで地域活性化だ」などと耳にしますが,実際どうなのか(具体的には,皆どのようにやっているのか),これを確かめるためはるばる京都まで行き,セミナーに参加してきました!
図1 会場の様子
はじめに
感想から述べると,非常に充実した時を過ごすことができました!現場ならではの話,このようなブログにはあまり書くことのできないようなリアルな話を聞くことができ,地域における再エネの導入やその利活用に関する課題や方法論についていっそう頭の中で整理されたように思います.また,実際に動いている方,これから動こうとしている方,参加者の年代も私と近く,共感する部分は多く在りながらも,「もっとしっかりしなければ」と刺激を受ける部分が多かったです.今回は京都での開催と,東京からの参加はなかなか難しいかったですが,もし関東で同様の会が開かれることがあれば,ぜひ,阿部研のメンバー,そして東工大の友人たちにもお勧めします.
このセミナーは,共催:「若手再エネ実践者研究会」,「環境エネルギー政策研究所(ISEP)」,後援:「京都大学再生可能エネルギー経済学講座」,協力:「一般社団法人全国ご当地エネルギー協会」のもと,実務として地域の再生可能エネルギー事業に関わる方々のお話や受講者同士のグループワークを通して、地域再生可能エネルギー事業の意義や可能性を見出し、自分の将来のキャリアとのつながりをデザインすることを目的に,3日間のスケジュールで開催されました.ここにこのセミナーで学んだこと全てを記載することは難しいですが,何個かピックアップして皆様とシェアできればと思います.
1.いきなり「市民ファンド」はNG: ISEP 山下さん
最近,再エネ絡みの情報収集を行っていると時々「市民ファンド」という言葉に出くわす.自分たちの手で分散型電源の設置を行う非常に好ましい取り組みのように思われるが,山下さんによると「注意が必要」とのことであった.
基本的に投資は,自己資金,銀行などの金融機関からの融資により行うもので,「(いきなり)市民ファンド」を掲げる事業とは,すなわち,「自己資金も無く,ゆえに高リスクと評価された結果銀行などからの融資を受けることができず,「いきなり」市民ファンド・市民に頼らざるを得られなかった事業」であることの表れであるそうだ.市民ファンドとは,最後に頼るべきものである.もちろん,資金を集めた結果足りなかった部分を市民の力により補う,という使われ方がされた事業については数々の成功事例を確認することができる.
2.まず地域の未来像ありき: ISEP 山下さん
自治体が政策的に地域再生可能エネルギーを通じた地域づくりを目指す際に最も重要なことは,まず,進みたい地域の未来像(ビジョンと具体的なコンセプト)を明確にすることである.これを基に,必要な政策パッケージや地域での推進体制の在り方を検討せねばならない.
未来像を固めたら,①自治体には何ができるのか?②行政内部の壁をどう突破するのか?③地域での協働はどう進めるのか?について検討する必要がある.自治体には,計画の国のエネルギー政策の中での位置づけを把握し,地域にメリットのある事業を促進し,補助金・普及啓発よりも制度・場づくりといったお金でない支援を最大限行っていくことが求められる.また,自治体行政内部の壁を取り払うために,自治体としての推進体制の構築,担当部署・担当者の権限の明確化,他部署の活用を推進することが求められる.さらに,地域でのキーパーソンを見つけ,市民と共に学び,お互いの得意・不得意分野を活かして話を進めるといった,市民とのコミュニケーションが非常に重要になる.
3.若者でも学生でもやっている人はやっている: 京都大学 井上さん,山東さん
私が3日間で特に影響を受けたのは,同世代の彼らの発表でした.井上さんは,出身地である岐阜県高山市に大学をつくるという夢を持ち,大学生活・研究生活を送りながら,自分で太陽光発電所を経営したり(お金を借りて),地域資源(林業・バイオマス)を活かしたまちづくりに関するプロジェクトや企画を主導したり,非常に,具体的かつアクティブかつ現実的に活動を行っています.とにかくすごい.
指導教官との相談の翌日,市長に会いに行き,直接自分の構想を説明したり,そこからどんどん話が膨らんだりと,勢いに乗ってどんどん世界が広がっていく様子は,僕も実感として非常に良くわかります.ただ,彼は実際にビジネスモデルを実現させたり,市政を動かしたり,多くの人々を巻き込んだりとかなり高いレベルで活動を展開しています.今後も彼の動向についてはフォローしていきたいと思います.
山東さんは,ふとしたきっかけで長崎県小浜温泉に立ち寄り,そこで温泉発電の取り組みを知ってから,すぐに移住を決意し,小浜温泉における地熱発電事業に携わりつつ,これを活用した地域活性化プロジェクトに参加しています.もともとの研究テーマ地熱発電と何の関係も無いのに移住までしてしまう思い切りの良さ,私も見習いたいです.
彼らの活動を知り,正直,いてもたってもいられなくなりました.ただ,彼らと私自身の資質,置かれている状況や利用できるリソース,夢や目標は全く異なります.熱を貰いつつも,浮足立たず冷静に,足元を見ながら自分の現場で自分のできること,やるべきことを一つずつこなしていこうと決意を固くしました.そして,時が来た時にいつでも立つことのできる準備をしておこうと思い直すのでした.
4.目標は明確に・高く・素早く・苦手なところは頼る: 自然電力 川戸さん
川戸さんは,震災後の2011年6月に,当時30歳だった仲間と3人で自然電力を創業した.自然電力のポリシーは「エネルギーから世界を変える」で,再生可能エネルギー施設の開発請負(EPC事業)を行っている.川戸さんは,資金調達や事業計画の立案,自社保有発電所の運営を担当している.
自然電力は「エネルギーで世界を変える」と,極めて明確で高い目標を掲げている.再生可能エネルギーの導入を推進・実行していくことで,大規模集中型,電力会社への依存の上に成り立つ既存の電力システムを変えてしまおうというのである.世界を変えるためには,影響力が無いといけない,影響力を持つためには,良いプロジェクトを数多く生み出すことである.実績を挙げることである.
自然電力は創業からわずか3年程度しかたっていない新しい会社であるにも関わらず,現在は数多くの従業員を抱え,全国各地で,太陽光,風力,小水力,バイオマスの大規模なプロジェクトを完成させている.自分に3年間でこれだけのことが出来るかと問われると,「出来る」と答えてみせるが,内心自信は無い.
自然電力がこれほどまでに成長した背景の一つに,パートナー企業の存在がある.日本の20年先を行く,ドイツの大手EPC企業juwiと連携をとり,技術やリスク分析,ファイナンスやO&Mなどのノウハウの共有を行っている.他企業を差し置いて,若い3人がドイツの大手企業と協定を結ぶ事が出来たのはなぜであろうか.具体的な計画と熱意と迅速さではなかったのだろうかと考えている.
5.FITの裏側・国家公務員の1週間: 環境省 安田さん
安田さんは,震災直後の6月に資源エネルギー庁に入って依頼,固定価格買取制度(FIT)の設計,運用などに2年間従事されてきた方である.そして,FITの条文を書いたのは安田さんである.震災後からFITの開始まで,そしてその後,どのようなやりとりがあったのかを伺うことが出来た.
2011年9月から12月までは,制度の運用面に関して,運営方針の検討(電事連・関係業界と打ち合わせ,既存設備の取り扱い,賦課金減免手続きの検討,賦課金免除範囲の検討)が行われた.同時に法令面の整備(調達価格等算定委員会令,費用負担調査機関に関する政令,費用負担調整機関に関する省令)も行われた.
2012年1月から,5月にパブリックコメントを求めるまでの4カ月間は,制度面では,費用負担調整機関の公募・決定,運用方針の詳細検討,全国説明会の開催などが行われ,法令面では,政令,省令,告示の作り込みが,買取価格や期間に関しては,調達価格等算定委員会の開催を行った.
パブリックコメント後,7月1日の制度開始までの間には,法令面の整備(再エネ特措法施行令,再エネ特措法施行規則,調達価格等を定める告示,RPS経過措置義務量を定める告示,賦課金単価を定める告示,回避可能費用単価を定める酷似)が行われた.
そして,この間,安田さんは夜中まで働きづめの毎日で,終電までに帰宅することもあまり無かったようだ.FITは,国家公務員の激務に支えられて生まれた制度なのである.
6.官民協働は手足で行う: 宝塚市 山崎さん
宝塚市には,かねてから社会の諸問題の解決に主体的に取り組む市民(主体的市民)が多く存在し,様々な活動が展開されてきた.「原発の危険性を考える宝塚の会」もそのような市民の集まりの一つであり,1981年より一貫して原発への反対行動,再生可能エネルギーの研究を行ってきた.
震災後の2012年,「原発はいらない!再生可能エネルギーでまちづくりを!」をスローガンに,「NPO法人新エネルギーをすすめる宝塚の会」に名前を変え,さらに活発に活動を展開していくことを決意した.丁度同時期に,宝塚市には「新エネルギー推進課」が設置された.宝塚の会のメンバーは,この新部署に非常に期待をしていたが,推進課は新設でノウハウ不足・少人数ということもあり,なかなか彼らの期待に応えることができず.反目するだけで対話が無い状態が続いた.
ついに,宝塚の会は,独自に市民発電所を作ることを決意し,動き始めた.そして,市民発電所を建設作業を行う日,何と推進課メンバーらが作業を手伝いに来たのである.ともに汗を流すことで打ち解けあうきっかけが生まれ,宝塚の会は第2号発電所,ワークショップの開催等を行い,推進課は市民懇談会の場づくりなど後方支援を行うという,相互に補い合う関係が構築されていった.
そして2014年9月には,「NPO法人新エネルギーをすすめる宝塚の会」は宝塚市と市民発電所設置モデル事業を行うための協定を結んだ.はじめは反目し合っていた官と民が,このように良好な関係を構築するまでに至ったきっかけは,お互いに手足を動かし,ともに汗を流したことであった.協働のためには,一緒に体を動かし,共同作業の中でともに苦労をわかちあうことも重要なのである.
おわりに
京都は美しい街でした.町中に金木犀の香りが漂っていました(まあ,季節ですが).あと,京都駅が好きです.そして,3日間の仮初の京大生生活は良い思い出になりました.私が方言丸出しで喋っても違和感がなく,そのことに逆に違和感を覚えました.
ただ,東京に戻ってみると,「やはり東京も東京で良いな」と感じます.とりあえず,地域の良さを感じとりながら日々暮らして行きたいものだと改めて感じた旅でした.
図2 京都の町並み:早起きしてホテルから会場まで歩いて京都の景色を楽しみました
以上