B4町田です。今回は「ふつおた」というか、普通のブログです。
今日は阿部先生とJICAへヒアリングに行ってきました。帰り際に、先週お盆に実家に帰っていたときの地方のお祭り事情のことを阿部先生に話したら、ブログ書くようリクエストが出たので書いてみます。
折りしも、明日研究室のみんなで二子玉川のたまがわ花火大会を見に行くので、知っておくと少し明日の花火の見方が変わるかもしれません。
私の実家(群馬県伊勢崎市、旧佐波郡境町)の近くでは毎年どでかい花火大会が行われていました。詳しくは知りませんが、関東で最大規模だったというのは確かです。(総数3万発で、3尺玉2発)
2006年のときの写真がこちら。
偶然、上がる途中・開いた瞬間・一番開いたときが一枚に収まった1枚。
空から星が降ってきてるみたいな3尺玉。
歴史などはこちらを。
東京に来てからも地元の花火大会は欠かさず見に帰っていましたが、2007年を最後になくなってしまいました。旧境町は2005年の1月に隣の伊勢崎市と合併したのですが、合併する前に伊勢崎市が中心地で別にやっていた花火も今年はなかったそうです。私の出身高校がある太田市の花火大会も今年はなかったようです。
これらの花火大会の廃止の一つの要因は、市町村合併によって、両方花火大会をやっていた2つの自治体が合併して、1つにするというものです。だいたい花火大会は商工会が企画・運営してるのですが、合併にともなって商工会も統合すると、同じ組織なのに2つ花火大会をやるのはおかしいという感じがしなくもないので、やめるのは理解できなくはないことです。
しかしながら、旧境町の人間は年に一度の花火大会を本当に誇りに思っていました。その日だけ関東中から人が集まってくるのを見るのが、なんだかうれしかったのを私も覚えています。おそらく旧境町の商工会、協賛金を寄付する地元企業なども本音を言えば懐は苦しいかったのでしょうが、それでも頑張って続けていたのは、やはりそれが地元の誇りだったからでしょう。境町での花火が終わったときから、境町というくくりでのアイデンティティーは急速に薄れていった気もします。それでも伊勢崎市民という気もあまりしません。
さて、もう一つ祭りの話ですが、先週地元に戻っていたときにおばさんの住む太田市(旧尾島町)のねぷた祭りを見に行きました。青森のが「ねぶた」で、弘前とそこから来た尾島のは「ねぷた」と呼びます。
詳しくはこちら↓
http://eclipse.star.gs/lock/ojima/neputa.htm
小さいころ私は、家の近くで花火大会を、おばさんの家で尾島のねぷたを見ることが夏の楽しみでした。
このねぷた祭りは旧尾島町の人にとっての誇りであり、太田市と合併した今の続いています。しかし、来年からは旧尾島町の場所での開催ではなく、ももともの太田市街地に移るようです。太田市では市街地で通常の夏祭りもやるのに、だそうです。おばさんの旦那さんは淡々とこれら事実を話していましたが、すごく寂しそうでした。地元に残っていたコンテンツが中央に取られた感じです。
本来、祭りとは景気よくやるものです。やせ我慢してでも、景気よくやることが大事でした。しかし、今はそれも無理なくらい地方が疲弊してきているようです。花火大会などの祭りの統廃合は全国的に起こっているようですが、市町村合併はきっかけであって、ベースにはやはり地方の疲弊があると思います。
市町村合併しても、それが全体の活性化につながっているのかは疑問です。今度の選挙で、道州制がかなり現実化してきていますが、それ自体はいいとしても、本当のコミュニティーレベルでの活性化につなげるには課題も多いと思います。祭りのような地域の一体感を作り出すイベントは今後どのような役割を果たしていくのでしょうか…
さて、一方東京なんかでは、財政状況はまだ余裕があるように思います。
東京では花火大会はごまんとありますが、実はこちらに住みはじめてから一度もこちらの花火は見にいったことがありません。ただ、行く機会がなかったというだけですが(泣)。地元の花火の迫力に勝るものはないという気概がなくはないかもしれません。
さて、明日の花火がどう見えるか楽しみです。