以下の書評は、土木学会誌用に執筆したものだが、多くの諸君は土木学会員ではないので読めないだろう。せっかくなのでHPにも掲載することにした。

 

三陸海岸大津波 吉村昭 文春文庫

 

「三陸海岸大津波」。今回の東北関東大震災のドキュメンタリーと思われる人も多いだろうが、そうではない。想定外とされる今回の津波と同程度の規模の大津波が、明治29(1896)に同じ三陸海岸で起こっていたのである。本書は、明治29年と昭和8年の三陸大津波を中心とした記録文学である。ポケットに入る薄っぺらな文庫本で、1〜2時間もあれば読めてしまうだろう。しかし、その内容は、あまりにも重い。

 著者、故吉村昭氏は著名な歴史小説家である。「戦艦武蔵」、「桜田門外の変」などの正統派歴史物はもちろん、伝説の脱獄名人を題材とした「破獄」や、無人島漂流を題材にした「漂流」、さらに「関東大震災」を題材とした記録小説など、その題材の豊富さと面白さには圧倒させられる。自らの足で時間をかけて集めた綿密で膨大な資料・インタビューから、小説の骨子として不可欠な本質だけが大吟醸のように濾される。工学者のように、正確で、客観的で、控えめな筆致でありながら、鋭い人間観察・自然観察が織り込まれ、読者を引きつけて離さない。

 本書は、昭和45年に「海の壁」として発表されたが、文庫化にあたって改題したとある。今回の生々しい大津波のTV映像は、まさに押し寄せる「海の壁」であった。「よだ(地元で津波のこと)」、「波高」、「前兆」、「来襲」、「住民」、「子供の目」、「救援」、などの小節から構成されている。淡々とした証言や事実の記述が逆にリアリズムを喚起し、脳裏に焼きつく今回の衝撃的TV映像と文章が綯い交ぜになって、何度か身震いしてしまった。TV映像ではもちろん犠牲者のご遺体などが映しだされることはないが、文中には壮絶・悲惨な事実が、絵巻物の挿絵と共に記されており、体験者以外今回の大津波の真の悲劇を理解することは出来まい、と改めて感じた。

 明治29年の大津波の体験者である田野畑村の老人の証言がある。「ドーン」「ドーン」という砲撃にも似た不気味な大轟音の後、数回にわたって大津波が押し寄せ、丘の中腹の高さ40-50mまで達したという。インタビューに居合わせた村長は「今の8mの防潮堤ではどうにもならない」、と顔を曇らせた、とある。その防潮堤であるが、吉村昭は、以下のように述べている。「防潮堤は、呆れるほど厚く堅牢そうで、みすぼらしい家屋に比して不釣合なほど豪壮であった。その対比に違和感を抱くと同時に、そのような防潮堤を必要としなければならない海の恐ろしさに背筋が凍りついた。三陸津波への関心は、防潮堤の異様な印象に触発されたものである」。

 「救援」の節では、明治28年や昭和8年の大津波の後、しばらくは高所への住居移転が進んだが、記憶の劣化と共に、漁業者にとっての利便性の問題で、危険な海辺に逆戻りする傾向が生じたことを鋭く指摘している。

今から40年も前にこのような記録文学が記されていたとは驚きである。100年という時間軸に立って、後世の人達に同じような経験をさせないためにも、長期的視点にたった復興計画を策定する上でも、今こそ再読し、大いに参考とすべき書であろう。

 


「神田先生からのメッセージ一覧」に戻る