Home »

 
 

魅惑の国境

 

東京工業大学 国際開発工学専攻 花岡伸也

国境に魅せられている.

初めて陸の国境に接したのは,博士課程学生時(1996年)にフィンランドにいたときだ.フィンランド道路公団(Finnish Road Administration)にて,IAESTEによる派遣現場研修をしていた私は,ロシアとの国境にある休憩所の清掃に訪れた.ソビエト連邦が崩壊したのが1991年.ロシア側の国境には拳銃を携えた国境警備隊員が間近に見えた.このとき越境する機会はなかった.しかし,国境の持つ「緊張感」になぜか強く惹かれた私は,週末,自由に使える自動車を自ら運転し,1人ロシア国境付近までドライブに行った.越境エリアまで行くと尋問されるかもしれないと不安に思い,国境近くに来てから舗装道を外れ,砂利道に入った.砂利道から200~300mほど離れたところに高木の雑木林が長く連なっており,それが国境であることが地図からわかっていた.フィンランド側の砂利道には古びた杭が並んでおり,フィンランド国旗カラーである青と白の模様が塗られている.国境のサインだ.雑木林の先にはロシアの監視台がぼんやりと見える.周りに誰もいない中,車内から写真を撮る.車を降りて写真を撮ったら危ないと勝手に感じていた.見直すと何がなんだかわからない写真であるが,そのときの緊張感は今でもはっきりと覚えている.

いま,内陸国の研究をしている.内陸国とは自国の領土に海を持たない国のことだ.輸出入手段として海上輸送を使うには隣国の港湾を利用せざるを得ない.越境が必然となるため陸の国境の持つ意味は大きい.国境通過に必要な,通関・イミグレーション・セキュリティチェックはできるだけ早く済ませたい.国境での余計な時間や費用は内陸国にとって輸送障害となる.内陸国の研究に国境の実態調査は欠かせない.

これまで約15回の陸の越境経験がある.当然のことながら出国してからすぐに入国する.しかし,キルギスとカザフスタンの国境では,車の混雑のために越境に90分を要した.タイとラオスの国境は既に4カ所通過している.海路越境(フィンランド・エストニア間,香港・マカオ間など)や河川越境(タイ・ラオス間)もある.幸いにもトラブルにあったことは一度もない.出入国審査のない陸路越境経験も3回ある.最初は2005年にブラジルとアルゼンチンの国境にあるイグアスの滝に行ったときで,ブラジル側に宿泊し,アルゼンチン側に渡った.日帰り観光客は出入国審査を免除されておりバスで通過できた.2回目はタイ・カンボジア国境にあるプレアビヒア遺跡(タイ名:カオプラビハーン遺跡)である.ここは,遺跡はカンボジア側領土に位置するものの,カンボジア側が断崖絶壁になっているため,タイ側からしか行くことができないところだ.2006年にバンコクからのツアーに参加し,イミグレーションなしに行くことができた.2007年以降は複数の死者も出るほどの紛争地帯となってしまい,現在も立入不可である.ここに行けたのは幸運としか言いようがない.

3回目は2011年に訪れたブータン・インド国境だ.ブータン国境調査の折,ブータン人はパスポートチェックなしに日帰りならインド側に行けると聞いて,ブータン人ガイドと共にブータン人の「ふり」をして越境した.ブータン人の顔は驚くほど日本人と似ていること,さらにガイドの付き添いもあったので,人の波に紛れて通過できた.万が一に備えてインドの入国ビザも取得していたが,それを使うことはなかった.ブータンとインドは,国境の壁をはさんで全く別の顔を見せていた.その数日前,越境はしなかったもののネパールとインドの国境も訪れており,そのときには同じ風景でつながっていることを確認していた.しかし,ブータンとインドは全く違う.国境の薄い壁一つで驚くほどの別世界が広がっていた.これ以外の国境周辺は全て似た雰囲気であったが,ここだけは違う.国境が背負う「歴史の壁」をこの時初めて強く意識できた.

これからも国境通過を楽しんでいきたい.